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兵庫警察学校 辞めるよう執拗な嫌がらせ受けたと告発される

 6月に警視庁の巡査長が逮捕された強姦強盗事件や本誌がスクープした「交番での警官同士の情事」(11月28日号)など、警察の不祥事が相次いでいる。採用や訓練で厳しく選別、教育されていると市民は思っているが、実は新人警察官が職務に必要な知識と技能を学ぶ「警察学校」で、退職を強要するような嫌がらせが繰り返されていたことが明らかになった。

 大学卒業後に兵庫県警の採用試験に合格し、2013年4月に警察学校での生活をスタートさせたAさん(25)は、約4か月で職を失った。警察学校は苦痛の連続だったと振り返る。

「入校直後から教官から辞めるよう圧力をかけられ、執拗な嫌がらせを受けました。つらくて眠れなくなり、手足が震える症状も出ました。それでも小さい頃からの憧れだった警察官として頑張りたかったので耐えていましたが、昨年8月になって成績不良を理由に免職になってしまいました」

 警察学校は各都道府県警の採用試験に合格した者が入る全寮制の訓練機関だ。半年間(高卒の場合は10か月間)で捜査に必要な法律知識や技能、逮捕術などを学ぶ。名称は「学校」だが、在籍者はすでに警察官であり、在籍中は試用期間にあたる。

 不況下の就職先として警察官(地方公務員)は根強い人気があり、採用試験の倍率は約8倍にのぼる。Aさんも難関を突破して警察学校に入ったが、冒頭の証言のような苦難が待ち受けていたというのだ。

「入校2日目の4月2日に、クラスの教官から『お前は24歳なんやからまだ若い。ワシのいっている意味わかるな』と、早く転職するよう促されました。その後もことあるごとに講義中に廊下に立たされ、同期生の前で『お前、頭悪いやろ』と叱責され、4月19日には『お前は絶対に卒業させん。おっても無駄や。辞職届を書け』とまでいわれました」(Aさん)

 それからは顔を合わせるたびに退職を迫られる日々が続いたという。Aさんは兵庫県を相手取り、700万円の損害賠償などを求めて神戸地裁に訴えを起こし、係争中だ。

宮崎あおい「はじまりのみち」で国民学校教諭に!ナレーションも担当

女優の宮崎あおいが、木下惠介生誕100年記念映画として製作される「はじまりのみち」(原恵一監督)のナレーションを務めることがわかった。また、国民学校の教諭役として出演していることを、配給の松竹が発表した。

数多くのアニメ作品を手がけてきた原監督が、初めて実写映画のメガホンをとる今作は、戦時中に脳いっ血で倒れた母を疎開させるため、惠介がリヤカーに乗せて山越えをしたという実話のエピソードが軸となる。また、血気盛んな映画青年として軍部ににらまれ、松竹を一時離れるきっかけとなった「陸軍」製作時のエピソードを、回想形式で盛り込んでいく。

宮崎は、ナレーションを務めるとともに、加瀬扮する惠介が「二十四の瞳」の構想を得る重要なシーンで国民学校の教諭を演じている。撮影地となった静岡・浜松の気田小学校の生徒12人が、エキストラとして参加。出征の見送りに行く子どもたちが、国旗を振りながら軍歌を歌うなか、憂いを含んだ笑顔で見つめる姿が活写されている。

また、加瀬をはじめ田中裕子、濱田岳ユースケ・サンタマリアらの出演は発表されているが、さらに斉木しげる光石研濱田マリ大杉漣ら個性派俳優、山下リオ藤村聖子松岡茉優相楽樹ら若手のホープたちも共演していることが明かされた。

「はじまりのみち」は、6月1日から全国で公開。

キグレサーカスが事業停止に 「娯楽多様化に対応できなかった」

日本3大サーカスの1つと言われる「キグレサーカス」が事業停止に追い込まれた。個人消費の冷え込みやなどの影響があったというが、業界関係者は「サーカスもショービジネス。娯楽多様化の時代に対応できなかった」とみている。

北海道札幌市に本拠地を持つキグレサーカスが2010年10月19日付けで営業を停止した。帝国データバンクによると、負債総額は約5億8800万円。

3大サーカスのひとつが消えた
1942年創業、約70年の歴史を持つ老舗サーカス団だ。77年に法人化して、「キグレNewサーカス」として全国各地で興業を行い、3500人が収容できるテントを使うほど人気を集めていた時期もあった。07年12月期には年収入高約5億2900万円を計上している。

しかし、近年は客足の伸び悩みに加え、09年には新型インフルエンザの影響もあるなどして10月の埼玉県川越市公演で大幅な赤字が発生。同年12月期の年収入高は約3億5800万円にまで落ち込んだ。経営の立て直しを図っていたが、先行きの見通しが立たなくなり10年9月末で従業員35人を解雇。10月23日から予定していた群馬県前橋市公演も中止し事業停止となった。

キグレサーカス木下大サーカス、ポップサーカスと並んで日本3大サーカスの1つとして数えられている。そのうち1つがなくなってしまったということになる。

NPO法人国際サーカス村協会代表の西田敬一さんによると、日本でのサーカスの最盛期は昭和30年代。当時は全国に30以上のサーカス団があったが、テレビの普及や、サーカス興業が行われることの多かった祭りが衰退したことで徐々に減少。1990年代にはもう3大サーカスしかなくなってしまい、「日本3大というよりも、日本に3つしかないという感じ」だという。